恵庭市議会 2017-09-19 09月19日-02号
それでね、我が国は大東亜戦争においてね、無条件降伏した、させられたっていうふうに聞き伝えでそう思い込んで。 ところが、このポツダム宣言きちっと読むと、我が国が無条件降伏したとは一切書いてない。日本国の軍隊は無条件降伏をしたと、こうなってますが、ポツダム宣言の第5条には、我々の条件は以下の条文で示すとおりである。要するに、条文を示して、これこれこれを守りなさい。
それでね、我が国は大東亜戦争においてね、無条件降伏した、させられたっていうふうに聞き伝えでそう思い込んで。 ところが、このポツダム宣言きちっと読むと、我が国が無条件降伏したとは一切書いてない。日本国の軍隊は無条件降伏をしたと、こうなってますが、ポツダム宣言の第5条には、我々の条件は以下の条文で示すとおりである。要するに、条文を示して、これこれこれを守りなさい。
翌16年12月8日に、当時は大東亜戦争と言って、アメリカ、イギリスなどの占領地政策に反対するという大義名分を立て、そして、大東亜共栄圏をつくるという名分のもとに、当時の国際ルールであった戦争開始前には相手方に通告をしてから戦争を始める、この国際ルールも無視をして、突然として、「ニイタカヤマノボレ」の電文で一斉にハワイの真珠湾を攻撃したのであります。
さらに、大東亜戦争と言われる米国と英国を相手にした戦争が昭和16年12月8日に始まる。その前の昭和13年に国家総動員法という法律ができて、昭和13年3月31日は、いわゆる天皇の御名御璽で、全ての法律に超越して臣民、国民は全て戦争に協力する、こういうことになっていって今日に至ってきている。 そして、今、戦争に負けて、今の憲法が制定されました。
そして、いわゆる、大東亜戦争に関する問題ですね。そういったところから、ちょっとピックアップしてですね、部隊のOBの方も、議員で何人かおられますので、そういった方、中心にですね、ちょっと教科書のコピーをね、差し上げたとこですので、ぜひですね、皆さん一緒に検討、研究していただきたいというふうに思うわけであります。
南京事件については、当時の歴史的事実として南京陥落後の昭和13年1月、国際連盟理事会に中国の代表が日本軍が2万人の民間人を虐殺したと提訴をいたしましたが、認められなかったという事実がある一方、この事件につきましては大東亜戦争の戦勝国による東京裁判において初めて問題にされましたが、それらは全て伝聞に基づくものであるという意見もあります。現在、南京事件の歴史的評価は確定しておりません。
南京事件については、当時の歴史的事実として南京陥落後の昭和13年1月、国際連盟理事会に中国の代表が日本軍が2万人の民間人を虐殺したと提訴をいたしましたが、認められなかったという事実がある一方、この事件につきましては大東亜戦争の戦勝国による東京裁判において初めて問題にされましたが、それらは全て伝聞に基づくものであるという意見もあります。現在、南京事件の歴史的評価は確定しておりません。
これから太平洋戦争に向かっていくことになりましたが、後に大東亜戦争とか太平洋戦争というのはちょっと思わしくないということで、先の大戦と言い回しを変えております。 昭和17年1月2日、マニラを陥落しました。 そして、同年の2月15日シンガポールを占領しました。 日本は勝った勝ったの大賛歌に湧きました。
当時の台湾人や朝鮮人は進んで大東亜戦争に志願した。そして、双方で計5万人の戦死者を出し、靖国神社に合祀されている。こう書かれています。日本領となったのは、まさしく侵略戦争の結果であって、台湾や朝鮮の人々を勝手に靖国神社は合祀しています。台湾の馬 英九総統は、安倍首相の靖国神社参拝に対し、東アジア地域の安全に対する不安定要素を生じさせたと指摘しています。
昭和17年に開設された札幌飛行場の歴史をさかのぼっていきますと、かの大東亜戦争中、有名な加藤隼戦闘隊、飛行第64戦隊ですけれども、ここを基地として、北千島の幌筵島、占守島の列島防衛、あるいは、南方のレイテ作戦にも参加し、多くの人が命を落としたという悲しい戦争の歴史もあるわけであります。教科書で教えていない歴史、また、札幌市民が余り知らない丘珠空港の貴重な歴史が北翔館という施設に眠っております。
大東亜戦争末期、昭和20年8月9日未明、ソ連は日本に対して、日ソ中立条約を破棄して一方的に宣戦布告をし、満州帝国との国境に展開していたソ連極東軍約174万人が満州帝国と日本領朝鮮半島北部に軍事侵攻、8月16日には日本領南樺太に、そして、8月18日には千島列島にも侵攻、占領しました。
◆16番(林謙治議員) それで、前回、聞きたかったのが1点だけ、1点だけって、たくさんあったんだけれども、1点だけもう一回聞きますが、前回、「大東亜戦争」っていう話しましたよね、私ね。大東亜戦争、覚えてますか。6月ね。 この大東亜戦争に対するその考え方、三つあるんですね、三つ。一つは、シナからの見方で、いわゆる帝国主義のシナに対する侵略戦争であったという見方。シナ史観、シナから見た史観。
それで、ちょっと時間がないんで、途中であれかもしれませんが、私が、この近現代史にこだわってお話をしているのは、幕末、そして日清・日露の戦争、そして大東亜戦争、そして現代とこうなっているわけですが、これをちゃんと教えていないんですよね。
さらに、シベリア出兵、ノモンハン事件、満州事変、支那事変、そして、大東亜戦争には一木支隊を編成して西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島、アリューシャン列島のアッツ島、そして、千島列島のシュムシュ島でもソ連軍と戦われました。したがいまして、旧七師団の歴史が、明治から昭和に至る近代史そのものであり、北鎮記念館に行けば、歴史教科書よりも詳しく展示品を見ながら近代史が勉強できます。
「遊就館では大東亜戦争が日本の自存自衛の為の戦争であり『避けられぬ戦い』であった。アジア諸国が独立できたのも、日本軍の緒戦の輝かしい戦勝があったからであり、解放の為の戦争であったと位置づけている。また戦争責任は連合国にあると主張している。そして日本の朝鮮、台湾植民地支配は正義であり、何ら責められるべき点はないとされている。
日本の侵略戦争を大東亜戦争と呼び、愛する自分の国を守りたい、自衛のためだったと教えております。 日本の植民地支配については、道路を整備し、学校を設置したというだけで、侵略、加害の歴史には触れておりません。 日本の行った戦争が侵略戦争であって、朝鮮や台湾を植民地支配していたことは、日本政府が1990年代以降、村山談話などで国際社会が認めていることです。
満州事変しかり、大東亜戦争しかりだ、このように申しているのでございます。 さて、その憲法の精神が、国の政治、地方の政治、そうしたとこに生きてきているだろうか。主権者たる国民が、憲法で言われている、「主権が国民に存し、国政は国民の厳粛な信託によるものである。権威は国民に由来し、権力は国民の代表者がこれを行使し、その福祉は国民が享受する」となっている現在の状況でありましょうか。
満州事変しかり、大東亜戦争しかりだ、このように申しているのでございます。 さて、その憲法の精神が、国の政治、地方の政治、そうしたとこに生きてきているだろうか。主権者たる国民が、憲法で言われている、「主権が国民に存し、国政は国民の厳粛な信託によるものである。権威は国民に由来し、権力は国民の代表者がこれを行使し、その福祉は国民が享受する」となっている現在の状況でありましょうか。
例えば、誤りと指摘されても検定がそのまま通っているところを指摘すれば、神武天皇の東征伝承を載せ、神武天皇を実在の人物のように思わせ、東征伝承をあたかも歴史的事実と思わせるように、神武天皇が進んだと伝えられるルート、地図を載せていたり、太平洋戦争を戦前と同じ大東亜戦争と記し、日本の戦争目的は自尊自衛、アジアを欧米の支配から解放することであったとする皇国史観、靖国史観とも言える特殊なイデオロギーのもとに
つくる会は、今までの過去の歴史への謙虚な反省を自虐的と言って批判し、つくる会の歴史教科書では、第2次世界大戦を大東亜戦争と呼び、アジア諸国に対する日本の植民地支配や侵略戦争をアジア開放の戦争と位置づけて正当化し、美化しています。また、広島や長崎の原爆投下の被害事実や沖縄戦についても、その実態には十分触れず、戦争を肯定的にとらえています。
アジア民族の独立が現実になったのは、大東亜戦争初戦の日本軍の輝かしい勝利の後であった。日本軍の占領下で一度燃え上がった炎は、日本が敗れても消えることはなく、独立戦争などを経て民族国家が次々と誕生した」。今のアジアの独立諸国家は、日本が戦争したおかげで生まれたんだ、こういう歴史観を持っている。正しい戦争だったという見方ですが、靖国神社がこういう見方をしている。